共存の難しさ20060708 [教会日誌]
最近、霊の降臨によって忘我状態になって祈ったり叫んだりすると言われているグループ(ペンテコステ派)の数人と一緒に礼拝を守ってきましたが、この土曜日は彼女たちはお休みでした。先々週、はじめてわたしたちの礼拝に参加して、先週は礼拝の一部でこのグループのやり方で祈りました。わたしたち前からいるメンバーとしては、「自分たちは忘我状態で祈ることはないが、ペンテコステ派の人々の信仰のあり方は尊重する」という姿勢でした。わたしたちはこのグループの人々と共存を目ざし、受け入れているつもりでした。
しかし、もしかしたら、上で「 」の中に記したような姿勢が、この人々には、自分たちは受け入れられていない、という気持ちにさせたのかも知れません。口には出さなくても「自分たちは忘我状態にならないぞ」というわたしたちに取り囲まれては、ペンテコステ派の人々も先週の祈りはいつもの自分たち流にはできなかったのかもしれません。先週も記したように、前回の礼拝ではペンテコステ派の人々は忘我状態になりませんでした。後から、彼女たちも、あの礼拝堂では聖霊が降ってこない、と感じたのかも知れません。
以上はすべて推測です。同じ礼拝堂での共存も良いし、また、彼女たちがもっとやりやすい場所を求めているのならそれも良いと思います。
2006-07-09 07:41
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はじめまして、こんにちは。
忘我状態になって祈ったり叫んだりしたり、人を倒したりする動画を集めました、注意してください。
http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html
ルカの福音書5:37
また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。
5:38
新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。
5:39
また、だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古い物は良い。』と言うのです。」
古いぶどう酒を飲んでから、新しいぶどう酒を教会に入れると教会は分裂しますよ。霊に注意してくださいね。
by 777 (2010-01-26 17:07)