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召命と資質20060715 [教会日誌]

お茶の時間にヴォカシオンということが話題になりました。ヴォカシオンとは英語のvocationと同様に「転職、資質、召命」などと訳されます。Cさんはかつて大学の建築科に学んだのですが、その時、ヴォカシオンを問われたというのです。わたしはそれを聞いて、建築家も召命感が問われるのかと思いました。召命感とは、牧師になるように神から召し出されているという認識のことです。牧師は、自分の選択や決心でなるのではなく、この召命感が大事だと言われています。Cさんの青年時代に、建築家になるためのヴォカシオンが問われたと聞いて、ペルーの人たちは、牧師や神父に限らず、職業選択の際は、それが神の召しかどうか、考えるのかと思いました。けれども、話を良く聞いてみると、建築家としての適性、資質のことのようでした。神からその職業に招かれている人はその適性と資質も神から与えられているということなのでしょうか。しかし、自分は牧師としての適性も資質もないけれども、ただ神がこの職を続けることを許してくださっておられることに感謝したい、と思うのはわたしだけではないでしょう。


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コメント 2

MAJO

はずかしながら「ヴォカシオン/召命感」という言葉があるのを初めて知りました。
私にとって陶芸という仕事はこのような感覚があって、この感覚は召命感というものかしら?と思ったので、ついコメントに書き込ませて頂きました。

陶芸はある日突然私の目の前に現れて、有無を言わさず仕事として始まったような感覚があります。だからいつか役目を終えた時には、与えて下さった所へお返しする時が来るのかもしれない、とも思ったりします。
陶芸は自我や執着とはかけ離れた所にあり、だからこそ一生懸命にお仕えしなければならない仕事だと思っています。
そして私もパストールのように、この仕事を与えて下さり、続けることを許してくださっておられることに感謝しています。
by MAJO (2006-09-19 00:13) 

ick

MAJOさん

MAJOさんは、ただ「好き」ということだけではなくて、招かれて、陶芸に携わっておられるのですね。

「自我や執着とはかけ離れた」・・・そうですね、聖書にも、「主は与え、主は奪う」という言葉があります。神様がお与えくださり、神様が引き取ってくださるのですね。

感謝をもって陶芸を続けておられるとのこと、神様の祝福をお祈りいたします。

ぱすと~る
by ick (2006-09-19 06:58) 

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