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茶道20060610 [教会日誌]

日系ペルー人のCさんは、ペルーの大学を卒業して建築の学位をもっており、大学で教えた経験もあります。それを知った台湾人女性のRさんは、「大学を卒業した人が、どうして日本に出稼ぎにきて、工場で働くのか、信じられない」と驚いていました。台湾では考えられないそうです。

CさんはRさんに、ペルーで大学で学んだことを活かして働くよりも、日本でいわゆる「肉体労働」をする方が収入が多いという事実を説明しました。ペルーと日本の間の経済格差は、台湾と日本の間のそれよりも圧倒的に大きいのです。南北問題はたしかな事実です。また、Cさん以外のメンバーはたしかに大学で学びませんでしたが、それは学力ではなく、機会と経済的な問題によるものです。

そんな話を礼拝の前に少しして、礼拝のあとはいつものようにコーヒータイムです。じつは、教会には和室があります。Cさんが今度この和室でお茶会をしようと言い出しました。コーヒーではなくお抹茶です。Cさんはじつはお茶を習ったことがあり、お茶は心がとても安まると言うのです。また、Cさんは生け花にも関心があり、和室で生けてみたいとも言っています。茶室の入り口が小さいのは、刀を差したままでは入れないためと教えてくれました。お茶会は平和のシンボルということです。


舟を降りる子どもたち20060604 [教会日誌]

この日は劇「ノアの方舟(はこぶね)」を二回上演しました。教会のバザーということで、近所の子どもたちやメンバーの「孫」たちも参加しました。じつは、孫持ちの、還暦を越えたメンバーも活躍しているのです。悪いことばかりする人間を滅ぼすために神が洪水を起こしたのですが、ノアとその家族、そして動物たちは、方舟に乗り、これを乗り越えます。会場の子どもたち十数人も動物カードを胸にかけてもらって、一緒に舟に乗り込みます。舟の中では楽しいゲームをして洪水をやりすごします。劇の最後に洪水が引いて陸地があらわれた時、子どもたちやメンバーが舟の側面を示す段ボールを皆でエイと倒して、希望の地へと上陸します。それはまるでひとつの大きな壁が崩壊したかのような感動的な場面でした。今回のバザーの企画者のHさんはここでうるるん、バザー終了後、ワインで乾杯しました。


環太平洋20060527 [教会日誌]

この日はRさんが初めて来てくれました。Rさんは台湾人で日本人と結婚、大学でスペイン語を学び、今では、北京語、日本語、英語、スペイン語をたくみに話します。台湾、沖縄、鹿児島、九州、本州、ペルー、チリ、あといくつかの地域が加われば、ほとんど太平洋一周です。むかし、アジアの人たちが陸づたいにアンデスまで到達したとか、海路で横断した人たちもいるかも知れないとか聞いたことがあります。軍事網ではなくて、礼拝とコーヒータイムと演劇でつながりたいと思います。


いつもの三倍!20060520 [教会日誌]

この日はたくさんの人が集まりました。スペイン留学経験のある日本人大学生Tくんは初参加。流ちょうなスペイン語でした。助産師としてメキシコで働いていた日本人女性Eさんが結婚したばかりのメキシコ人夫Rさんを連れて、二~三年ぶりの登場。しあわせそうです。ペルー人女性Mさんは二人の結婚祝いにエンパナーダという揚物をたくさん持ってきてくれました。今月誕生日を迎えたMさんの二人のお嬢さんも一緒でした。そして、この日は、ペルー人男性Cさんのお誕生日当日。Cさんの妹さん夫婦と日本語ぺらぺらの姪、息子さん夫婦と二人のやんちゃな坊やたち、そして、娘さん夫婦もお祝いに来てくれました。妹さんは、パパ・アラ・ワンカイーナというジャガイモ料理を持ってきてくれました。また、一週間早いのですが、来週お誕生日のAさんも祝って、Happy Birthday(一番は英語、二番はスペイン語)を歌いました。Eさんのメキシコ人夫が初めて来るということで、同じく日本人女性と結婚しているメキシコ人Mさんも駆けつけてくれました。それにいつものレギュラー数人。とういうわけで、いつもの三倍くらいになりました。


あるおじさんの人生20060506 [教会日誌]

ペルー育ちのTさんの人生を劇にしました。

今回は、Tさんのおじいさんが沖縄からペルーに移住する航海から始まり、第二次世界大戦での迫害、そして、Tさんが21才になり、ペルー北部の町から首都ペルーに旅立つところまでです。

この劇のすばらしさは、ペルーからの日系移住労働者たち自身が、ルーツに遡ってその人生を劇にすることにあると思います。また、移民、棄民、沖縄、戦争、これらは今のわたしたちに無関係な問題ではありません。

上演は、5月14日(日) 午後3時頃、烏山区民センター前広場(京王線千歳烏山駅下車)にてです。
これは、5月13日、14日に開催される「路上演劇祭」の一部として行なわれます。時間はアバウトですので、余裕をもってお越しください。早めに来て、他の劇やパフォーマンスもご覧ください。

お時間の都合のつく方、ぜひ、お越しください。


日系ペルー人20060429その2 [教会日誌]

Tさんは今は日本籍を選択していますが、ペルー生まれでスペイン語を母語とする「日系ペルー人」もしくは「ペルー系日本人」です。Tさんが最近書いた文章を読みました。

それによると、Tさんのおじいさんは戦前にペルーに移住、そこで、外国人、移住労働者として、言葉、社会生活、仕事などで非常に苦労します。ペルーのリマに着いたものの、そこで与えられた土地は沖縄出身の彼らが農業をするのに適した場所とは言えませんでした。そこで、故郷沖縄に似た環境を求めて北上(南半球ではそれは温かい土地を目ざすことを意味します)、その旅は馬車や徒歩によるものであり、マラリヤに苦しめられたりします。

また、第二次世界大戦中は、ペルーは連合国側だったので、日系人は「敵」として迫害を受け、カリフォルニアの収容所まで連行された人々もいると言います。また、お店を経営していた日系人は、没収を避けるために「友人」の非日系人にお店の名義上の所有者になってもらうような対策をとりますが、戦争が終わっても「友人」たちはお店を返してくれないというようなこともあったそうです。

それから何十年も経ち、今度は、Tさんの世代が移住労働者として日本に帰ってきます。そして、今度は舞台を日本に変えて移住労働者の苦しみを味わうのです。

Tさんの文章を読んだ後、わたしたちはビデオを見ました。『海にすわる ~沖縄・辺野古 反基地600日の闘い~』です。日本語のあまり得意でないTさんですが、沖縄の苗字は全部読めました。また、市民労働組合の活動などを通して、反戦や平和の願いを強く持つTさんは、辺野古の闘いの意味をすぐに理解しました。

近い内にペルー人教会の皆で沖縄に行きたいね、辺野古の闘いをする人たちに会いたいね、という思いをわたしたちは強くしました。


送別会20060429 [教会日誌]

土曜日はペルー人女性Mさんが久しぶりに顔を見せてくれました。三人のお子さんも一緒でした。Mさんは資格を取ってホームヘルパーの仕事をしています。以前、工場で働いていた時は「おい」だけだったのに、今は「○○さん」と呼んでもらえるのがうれしいと言っていました。

一才のRちゃん、三才のAちゃんは保育園、Aちゃんはもう日本語を話しています(スペイン語はどうなのだろう?)。上のお兄ちゃんは三年生。Mさんは介護福祉士の資格を取りたいのですが、学校に行く時間がないので、家庭教師に来てもらうほどのがんばりようです。

この日は、また、就職でまもなくチリに旅立つ日本人Sくんの送別会を行ないました。いつものように礼拝とお茶の時間を過ごした後、近くの居酒屋に移動しました。

Sくんは数年前にペルー人教会に顔を見せて以来、皆と仲良くなり、市民労働組合の通訳やペルーの青少年労働者との交流運動、そして、劇団セロ・ウアチパの役者として大活躍、一年間、ペルーで過ごしたこともあります。人と仲良くなったり、ものごとを深く考えたり、劇をしたり、才能に満ち溢れていますが、スペイン語は同時通訳レベルになりました。

Sくんはわたしたちにとって非常に大事な存在です。チリに行っても絆は切れることなく、むしろ、新しい形で展開することでしょう。大学生活を終えて社会に出るSくんの道が神様によって導かれますように。


あたらしいいのち20060422 [教会日誌]

いつも劇をリードしてくれるKさんに、姪御さん誕生といううれしい知らせが届きました。良かったです。この日は先週の劇にも来てくれた日本人男性Sさんが礼拝に初参加。スペイン語も学んでおられ、スペイン語で上手にあいさつをしてくださいました。日本人男性Jさんもひさしぶりの登場です。お仕事がお忙しかったようですが、皆、Jさんとの再会をおおいに喜びました。


観劇記20060418 [教会日誌]

ペルー人教会とセロ・ウアチパの大切なお友だちにして、すてきな陶芸家のMAJOさんが劇の感想をご自分のブログに書いてくださいました。その文章がすばらしいのでご本人にご許可を得て、以下に転載させていただきます。MAJOさん、ありがとうございます。ムチシマス グラーシアス!

(以下MAJOさんの文章です)

この前の土曜日、蒲田のペルー人教会でパストール(牧師さん)や日系ペルーの友人達がセマナ・サンタ(キリストの復活祭)のお芝居を上演すると言うのを聞き付け、観にいってきました。タイトルは「悪魔の悪戯 in Kamata」。

ペルー人教会に訪問するのも久しぶりだったのですが、以前の味わいがある”昭和の木造洋館”風の建物は取り壊され、スペインのテラコッタや白木などをふんだんに使用したモダン・ナチュラルな教会へと生まれ変わっていました。これにはびっくり。パストールが新しい教会のなかを案内して下さいました。ちょっとしたお洒落なギャラリーの様です。

さて、ひさびさにペルーのお友達と再会を喜び、午後7時ちょっと過ぎに開幕。
彼らの劇団セロ・ウアチパ(「セロ・ウアチパ」とは劇団の旗揚げメンバーの生まれ故郷の村の名前)はいつも生活に密着した問題をテーマに取り上げています。
言語はスペイン語と日本語。うまく2カ国語がセリフに編み込まれているので、どちらか片方の言語しか分らなくても理解できるような上手い作りになっています。

今回は祭壇横の白い壁にプロジェクターで物語にそった蒲田駅周辺のスライドを効果的に使いながらの上演。プロローグに仮面を被った複数の悪魔と1人の天使の闘いの踊りから始まります。この踊りはデモニアーダというペル−の民族舞踊から採ったアイディアだそう。『沢山の悪魔に対して天使はたったひとりで闘う。でもいつも必ず最後には天使が勝つんだ』と出演者Sさんの言。

お芝居のストーリーはというと、
蒲田教会に行こうとする主人公のDさんを、
Dさんの心のなかに住む悪魔が妨害をするというもの。
普段から、いい人・・とは言い難い行動をしているDさん(例えば歩きタバコで
他人を火傷させてもへっちゃら、シルバーシートにお年寄りを押し退けて座っても
気にしない。)、悪魔に取り入られやすい心の隙があるのです。

でもDさんの他の一面には、
目の前で転んでる子供はほっておけない、
目の前で倒れていた人には介抱の声をついかけてしまう、
そんな世話好きのところがある。
そのおせっかいのため教会になかなかたどり着けないDさんを悪魔は喜んでいた。
しかし悪魔には大きな誤解があったのです。

教会に行くことをひたすら妨害していた悪魔。
でも単に『教会に行く・行かない』ということが重要なのでは無く、
要は何をして日常を生きているか、という事なのだと。

教会には行けなかったDさんだけど、
でもやっぱり目の前で泣いている子供は助けてしまうのです。
倒れている人を介抱してしまう。
直接的には教会に行けなかったけれども、こういった心持ちを実行していた
Dさんの行動は知らないうちにいつしか神様のいる教会の道へと続いているのでした。
-fin-

by MAJO


悪魔の悪戯 in Kamata 20060415 [教会日誌]

 

劇団セロ・ウアチパの創作劇「悪魔の悪戯 in Kamata」をこの土日、二回、上演しました。各回とも、東北アジア人、ラティーノス、あわせて2~30人くらいの人が見に来てくれました。見てくれた人の感想やそれへの応答で劇を終了した後は、ペルー料理やお菓子で交わりの一時を持ちました。今回はアンデスのフォルクローレ風のお面を創ってくれた人がいました。とてもすばらしいお面で役者一同非常に感謝しています。


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