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異文化共生への試み060624 [教会日誌]

先週から来始めた方から、礼拝でメッセージを語るなど、牧師の手伝いをしたいというお申し出がありました。うれしいことです。しかし、難しい面もあります。この方はペンテコステ派というキリスト教の一派の背景を持っています。この派は、祈っている内に何語でもない普通には意味不明の言葉を忘我状態で発する経験を重視するということです。そういう教派のあり方は尊重しますが、ペルー人教会にはそのような経験には違和感を感じる人々もいます。また、カトリック、プロテスタント、キリスト教徒でない者など、わたしたち一人一人の背景は様々です。そこで、この方も含め、皆で話し合い、この方に時々、礼拝でメッセージをしてもらうこと、おたがいの考え方や背景を尊重しあうこと、自分たちのやり方を強制しないことなどを確認しました。今のところ、メッセージだけをお願いしているので、忘我状態で不思議な言葉を発する現象が起こるかどうかはわかりませんが、これはわたしたちの教会がこれまでなじんてきた文化とはかなり異質なものなので、かなり大きな挑戦だと思います。しかし、これまで良く知らなかった文化から学んだり、相互尊重によって何かが生まれたりするきっかけにもなると思います。


うちなーぐち20060617 [教会日誌]

この日のペルー人教会スペイン語礼拝には、日本人のNさん、そして、コロンビア人のJ1さん、Mさん、J2さんが初めて来てくださいました。メンバーには、ほかに台湾人、ペルー人、チリ人といて、とてもにぎやかです。話される言葉も、スペイン語と日本語が中心ですが、英語や北京語を話す者もいます。ところで、7月に沖縄に行くことにしました。一行八人のうち、三人が沖縄出身の母父、あるいは祖父母をもつ日系ペルー人です。三人とも沖縄は十数年ぶりとのこと、そのうちMさんは沖縄に住んでいたこともあるので、言葉もできるかと期待していたのですが、「うちなぐーちはめんそーれ」(ようこそ)だけしかわからない」と言っていました。沖縄ではウィンドウズには「めんそーれ」と表示されるのかという冗談も飛び出ましたが、今回の訪沖の大きな目的は交流です。皆、うちなんちゅうの教会の人々と会って話をすることをとても楽しみにしています。また、この三人は組合を通して、横須賀反基地やイラク戦争反対の行動にも参加したことがあり、辺野古訪問にも熱い思いをもっています。今回は、この春沖縄に赴任しスペイン語もできる牧師さんを頼りの訪問ですが、きっとすばらしい出会いとなることでしょう。


茶道20060610 [教会日誌]

日系ペルー人のCさんは、ペルーの大学を卒業して建築の学位をもっており、大学で教えた経験もあります。それを知った台湾人女性のRさんは、「大学を卒業した人が、どうして日本に出稼ぎにきて、工場で働くのか、信じられない」と驚いていました。台湾では考えられないそうです。

CさんはRさんに、ペルーで大学で学んだことを活かして働くよりも、日本でいわゆる「肉体労働」をする方が収入が多いという事実を説明しました。ペルーと日本の間の経済格差は、台湾と日本の間のそれよりも圧倒的に大きいのです。南北問題はたしかな事実です。また、Cさん以外のメンバーはたしかに大学で学びませんでしたが、それは学力ではなく、機会と経済的な問題によるものです。

そんな話を礼拝の前に少しして、礼拝のあとはいつものようにコーヒータイムです。じつは、教会には和室があります。Cさんが今度この和室でお茶会をしようと言い出しました。コーヒーではなくお抹茶です。Cさんはじつはお茶を習ったことがあり、お茶は心がとても安まると言うのです。また、Cさんは生け花にも関心があり、和室で生けてみたいとも言っています。茶室の入り口が小さいのは、刀を差したままでは入れないためと教えてくれました。お茶会は平和のシンボルということです。


舟を降りる子どもたち20060604 [教会日誌]

この日は劇「ノアの方舟(はこぶね)」を二回上演しました。教会のバザーということで、近所の子どもたちやメンバーの「孫」たちも参加しました。じつは、孫持ちの、還暦を越えたメンバーも活躍しているのです。悪いことばかりする人間を滅ぼすために神が洪水を起こしたのですが、ノアとその家族、そして動物たちは、方舟に乗り、これを乗り越えます。会場の子どもたち十数人も動物カードを胸にかけてもらって、一緒に舟に乗り込みます。舟の中では楽しいゲームをして洪水をやりすごします。劇の最後に洪水が引いて陸地があらわれた時、子どもたちやメンバーが舟の側面を示す段ボールを皆でエイと倒して、希望の地へと上陸します。それはまるでひとつの大きな壁が崩壊したかのような感動的な場面でした。今回のバザーの企画者のHさんはここでうるるん、バザー終了後、ワインで乾杯しました。


ノアの方舟

スペイン語と日本語の飛び交う劇団セロ・ウアチパの公演のご案内です。

今回は「ノアの方舟」です。ぜひお越しください。

入場無料

日時 6月4日(日) 午後2時30分 と 午後4時

場所 日本キリスト教団蒲田教会
    東京都大田区蒲田1-22-14
    03-3732-1796

なお当日午後1時より教会ではバザーが開かれ、喫茶コーナー、手作り品販売もあります。

また、バイオリンとビオラの演奏会もあります。
  「バイオリン2本とビオラのためのトリオ/ベートーベン 作品87」
     午後1時半と3時半です。


環太平洋20060527 [教会日誌]

この日はRさんが初めて来てくれました。Rさんは台湾人で日本人と結婚、大学でスペイン語を学び、今では、北京語、日本語、英語、スペイン語をたくみに話します。台湾、沖縄、鹿児島、九州、本州、ペルー、チリ、あといくつかの地域が加われば、ほとんど太平洋一周です。むかし、アジアの人たちが陸づたいにアンデスまで到達したとか、海路で横断した人たちもいるかも知れないとか聞いたことがあります。軍事網ではなくて、礼拝とコーヒータイムと演劇でつながりたいと思います。


いつもの三倍!20060520 [教会日誌]

この日はたくさんの人が集まりました。スペイン留学経験のある日本人大学生Tくんは初参加。流ちょうなスペイン語でした。助産師としてメキシコで働いていた日本人女性Eさんが結婚したばかりのメキシコ人夫Rさんを連れて、二~三年ぶりの登場。しあわせそうです。ペルー人女性Mさんは二人の結婚祝いにエンパナーダという揚物をたくさん持ってきてくれました。今月誕生日を迎えたMさんの二人のお嬢さんも一緒でした。そして、この日は、ペルー人男性Cさんのお誕生日当日。Cさんの妹さん夫婦と日本語ぺらぺらの姪、息子さん夫婦と二人のやんちゃな坊やたち、そして、娘さん夫婦もお祝いに来てくれました。妹さんは、パパ・アラ・ワンカイーナというジャガイモ料理を持ってきてくれました。また、一週間早いのですが、来週お誕生日のAさんも祝って、Happy Birthday(一番は英語、二番はスペイン語)を歌いました。Eさんのメキシコ人夫が初めて来るということで、同じく日本人女性と結婚しているメキシコ人Mさんも駆けつけてくれました。それにいつものレギュラー数人。とういうわけで、いつもの三倍くらいになりました。


路上演劇祭20060513

Tさんの人生を題材にした劇は、14日の日曜日に千歳烏山の路上で上演されました。今回は、彼が21才になって首都リマに旅立つところで幕となりました。この劇の小道具を作るために、CさんとTさんは、火、水、木、金、土と毎日仕事帰りに教会に立ち寄り、9時くらいまで働いていました。その小道具のひとつに、ペルーへ移民する者を募るチラシがあるのですが、その裏には、Mさんのご両親の結婚式の写真が載っていて、いつも劇を見に来るお母さんを驚かそうという悪戯が仕掛けられていました。写真は移民社会の雰囲気を良く出しています。劇は非常にすばらしいものでした。続編が待たれます。


あるおじさんの人生20060506 [教会日誌]

ペルー育ちのTさんの人生を劇にしました。

今回は、Tさんのおじいさんが沖縄からペルーに移住する航海から始まり、第二次世界大戦での迫害、そして、Tさんが21才になり、ペルー北部の町から首都ペルーに旅立つところまでです。

この劇のすばらしさは、ペルーからの日系移住労働者たち自身が、ルーツに遡ってその人生を劇にすることにあると思います。また、移民、棄民、沖縄、戦争、これらは今のわたしたちに無関係な問題ではありません。

上演は、5月14日(日) 午後3時頃、烏山区民センター前広場(京王線千歳烏山駅下車)にてです。
これは、5月13日、14日に開催される「路上演劇祭」の一部として行なわれます。時間はアバウトですので、余裕をもってお越しください。早めに来て、他の劇やパフォーマンスもご覧ください。

お時間の都合のつく方、ぜひ、お越しください。


日系ペルー人20060429その2のその2

日系ペルー人Cさんに聞いた話です。

今、日本には日系ブラジル人や日系ペルー人がいますが、両者は協力しあったり、交わったりすることも当然あるのですが、時に、葛藤もあるそうです。

Cさんによると、それは、一般に日系ブラジル人の方が日本語が上手で、日系ペルー人を見下すことがあるからだそうです。

しかし、それは、戦争中、同盟国に属したペルーでは、日系人は敵国人として迫害され、その結果、日系ペルー人の間ではペルーへの同化志向が起こり、日本語教育が積極的になされなかったからだというのです。この点、ブラジルでは、日系人への迫害が少なく、日本語教育にも支障がなかったと。

Cさんにもう一つ聞いたことは、Cさんはおじいさんは鹿児島出身の日本人ですが、おばあさんはペルーの先住民系の方だそうです。当時、ペルーの日系社会では、日系同士で結婚することが当然とされ、そうでない場合、日系社会から疎外されたそうです。Cさんは、子どものころ、「ドジン」と言われて悲しかったそうです。今は差別語としてあまり使われなくなったこの言葉ですが、この言葉を浴びせられた少年Cさんの心はどれだけ傷ついたでしょうか。

しかし、今還暦を越え、孫もいる彼は、誰をも斥けず、誰からも憎まれないような人物であり、演劇を愛し、生け花、バレーなど様々な表現活動に関心を持ちつつ、日本で働いています。


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